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写真とオタのコングロマリット

写真、音楽、ゲームを中心に

秋葉原の歴史を調べてみた

歴史


秋葉原駅

というわけで考えてみた。

 

成り立ち*1

もとも商業地に適していた秋葉原

江戸時代、江戸城に近い事から武家屋敷が集中していたが、当時は火事の被害が頻発していた為、その跡地に町人達が集まり、今で言う下町になった。その後、鉄道が通ることとなり、北に上野、南に東京と商業基礎地として発展。秋葉原の由来となった鎮火社*2が出来たのは明治初期の事

 

電気工事とラジオ

明治時代に入ると、電気産業が急速に発展。発電所が設置され、その通電工事に必要ろされる部品の確保に上野や浅草など城東エリアが発展したが、その頃は、馬蹄屋、骨董品屋、麻布屋などが多く、上記産業の2次的恩恵を受けていたに過ぎなかった。

その後、大正中期にNHKがラジオ放送を開始。新しいメディアの誕生によってラジオの普及が急速に拡大。電気工事とラジオ、2つの産業による電気材料卸売商の発展が起こった

 

第2次世界対戦前後

戦争時国策により、工場の軍需転用、物資配給制の開始。また空襲による被害は商業成長を一時的に留める結果となった。その後、終戦となり、既存商店の再興やヤミ市の影響もあり徐々に活気を取り戻し始めた。近隣の電機工業専門学校*3の学生が組み立て式ラジオを販売し爆発的に売れ、その後GHQによる露天商撤廃の代替措置としてできたのが、現在のラジオセンター*4の元となった。

 

生活家電から情報家電

戦後、特に昭和中期以降は電機産業の目覚ましい発展となった。池田勇人内閣の『所得倍増計画』や東京五輪に代表されるように、死にかけた経済の再興が始まり、三種の神器*5*6と3C*7*8に代表される電機技術革新が起こり始め、その特需を秋葉原一体は受けることとなる。しかし、特需のバランス偏重は後にメーカー在庫を生み出す事となり、流通販路の混乱*9、対策会議の設立*10が進んでいく。また、今では当たり前となった秋葉原歩行者天国は、1973年6月10日日曜日に始まった。

 

新しい娯楽産業

昭和後期になると、オイルショックや公害問題を発とした環境問題の影響もあり、一時的な景気の踊り場に辿り着くかと思われたが、『日本』ブランドは海外の高価格中品質の製品との差異は大きく、インベーダーゲームウォークマン、ミニステレオカセットデッキと若者文化に大きく寄与する製品も誕生。また1970年代はパソコンが一般市場に出回る転換期でもあった。

 

秋葉原ブランドの陰り

1980年代になると大画面テレビ、高機能ワープロ、高級オーディオなど高級大型志向の家電が一世風靡する。しかし、関東近辺のロードサイド型店舗や流通網の整備による宅配の普及は、秋葉原ブランドを相対的に魅力の低下につながり、〇〇専門店や新商品をいち早く展示するなど、差異化を図った。

 

マルチメディア

バブル崩壊を起点とした1990年代は、老舗販売店の閉店など、秋葉原一体の構造変化をもたらした。もともと電機家電は、生活必需品ではなく嗜好品の部類になる為、売れない→価格低下→利益が出ないという悪い方程式につながった。一方、パソコンを大きく一躍させたWindows95や、小型携帯電話と言った情報通信機器の存在が大きくなっていき、『マルチメディア』の街として新しく意義を見つけることとなる。

 

『萌』の台頭

2000年代は、すでに浸透していたゲームに加え、アニメ関連産業が台頭してきた時代でもあり、歩行者天国でのコスプレパフォーマンスは鮮明であった。

マスメディアの特集や日本人の多文化許容志向もあり、マルチメディア化の渦はより巨大な市場形成が進んでいく。

 

適宜補足予定

参考

秋葉原の歴史(秋葉原電気街振興会HP)

 

 

 

*1:http://www.akiba.or.jp/archives/index.html

*2:火防の神:秋葉大権現が祀られると町人達が勘違いした

*3:現在の東京電機大学

*4:2013.11に閉鎖

*5:白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫

*6:昭和30年代

*7:カラーテレビ・クーラー・自動車

*8:昭和40年台

*9:電器店に留まらず、スーパーの店先にも置くようになる。

*10:家庭電器市場安定協議会、昭和31年

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